新潟県南魚沼に戦国の雄・上杉家とゆかりの深い二つのお寺がある。関興寺と雲洞庵。「関興寺の味噌なめたか」「雲洞庵の土踏んだか」のフレーズで知られ、これらのお寺で修行してないなら一人前の僧とはいえない、という意味らしい。
それほどまでに重要視されている関興寺と雲洞庵を、2017年最大の一人旅企画「晩秋のぬる湯三昧」の中で訪れた。
さらに、雲洞庵の近くにある食事処「鹿小屋」で自慢の地元産コシヒカリをいただいた。やっぱりこのあたりの米はうまいね。個人的には上のフレーズにもう一つ、「鹿小屋の米食べたか」を付け加えたい。
さて最初に訪れたのは関興寺。前泊地の奥湯沢・貝掛温泉からバスで越後湯沢駅へ出て、JR上越線に乗り隣の石打駅まで行った。
駅前に「上越線生みの父 岡村貢翁銅像」があった。明治期に上越線の建設を訴え続けた当地の名士。石打駅の待合室には翁の伝記マンガが掲示されている。熱い内容でつい読みふけってしまった。
石打駅から関興寺までは徒歩で10分ちょっとなのだが、当日は雪。道に雪はなく凍結もしてないから歩くに支障はないけど、空も地面も真っ白。本来なら遠くに山が見えるはずなのになんも見えねぇー。細かいあられっぽい雪で傘いらずだったのが救いか。
前回初秋に来たときは涼しげに見えた池も凍っちゃって寒々しい。
拝観料などは不要。真正面の石段は雪が積もって進めなさそうなので、脇の坂道を通って本堂の入口前まで行ったが、とりあえず先に境内を回ってみようと思った。
地面はまだ誰の足跡もない新雪に覆われて歩きにくい。足首までズボズボ雪に埋まりながら一歩一歩、どうにか観音堂までたどり着いた。紅葉と雪のコントラストがきれい。
振り返ると経蔵と鐘つき堂。経蔵にはたくさんのお経を収めた回転式の書架がある。ぐるぐる回すとご利益がある系のやつ(実際はできない、見るだけ)。外国に似たようなマニ車ってのがあったような。
本堂に入ると誰の姿も見えない。奥から声だけは聞こえる。しばらくするとお坊さんが一人やって来て、「ごゆっくりどうぞ」と言って、また奥へ戻っていた。人と出会ったのはこのときだけ。
まず仏様に手を合わせる。その先は順路に沿って古い宝物や史料や仏像の類が陳列される中を進んでいった。見学エリアはそんなに広くない。展示品の一つ一つをじっくり見るのでなければあまり時間はかからない。
壺のフタを取ると中には味噌が。「関興寺の味噌なめたか」の味噌である。これを軽くすくってなめさせてもらえるのだ。
戦国時代、上杉謙信の没後に起こった家督争いに巻き込まれた関興寺は、北条軍に火をかけられることとなる。その際、大事な経文を味噌桶に入れて隠すことで焼失をまぬがれた、というエピソードから、ご利益のある味噌として名物になっている。
なめてみた味はまあ、味噌ですね。小さい壺に入った味噌をお土産に買うこともできる(500円)。このときは冬季の平日だったせいか客の出入りがまったくなかったけど、暖かい時期の休日ならもっと活気があるものと思われる。
関興寺の味噌なめたぞ!
前年は駅から雲洞庵まで、残暑の中を旅の全荷物を背負って5キロの道のりを歩いたが、今回はコインロッカーに荷物を預けて身軽になった。(※距離だけなら隣の塩沢駅から行くほうが近いんだけど塩沢にはコインロッカーがない。)
なおかつ、タクシーを使った。軟弱者との誹りは甘んじて受けよう。だって雨がぱらついていたんだもの。いいじゃないか、にんげんだもの、みつを。
伝えられるところによれば、赤門に続く参道の石畳の下に法華経を1字ずつ刻んだ石が埋められており、石畳を踏みしめて歩くとご利益があるのだそう。土踏んだかの言い回しはここから来ている。ありがたや~と参道を行く。
奥に大きな本堂がどっしりと構えていた。苔むした石仏との組み合わせが絵になる。
続いて方丈の間。幼少時の上杉景勝と直江兼続が共にこの部屋で学んだという。雲洞庵は大河ドラマ・天地人で幼き兼続(与六)に「わしはこんなところ来とうはなかった」と言わしめた禅寺なのである。
本堂は広い。関興寺よりずっと広い。見どころもいっぱいあるが、ここからはやや駆け足で紹介。こちらはご本尊。
位牌の並ぶ通路の奥に開山堂。このあたりは厳かな雰囲気が漂う。上杉謙信公のほか徳川家康公の位牌も安置されている。
別の通路の先に坐禅堂。修行僧は上の棚に入る荷物だけを持って、与えられた1畳の空間の上で寝食を行い、ひたすら坐禅を組む。修行中は話をしてはならない。ううむ、自分だったら1日で逃げ出すな…。
また別の通路の奥に客殿。広い客間が2フロア分ある。2階の窓から望む本堂がいい感じ。腰掛けるところがあり、お茶で一服はできないけど、外の景色を見ながら休憩できる。
死後、10人の王に生前の罪を裁かれる。みんなが知ってる閻魔王は十王の5番目。それにしても、説明を読むと、すんごい問い詰められるみたいなんですけど…メンタルやられそう。あと減刑してもらうには遺族が供養を行い功徳を積まないといけないっぽい。後の世代に負担を先送りするシステム。
宝物殿を出て、今度こそ終了。雲洞庵は見るところがいっぱいあるし静かで落ち着いた雰囲気でなかなか良かった。
雲洞庵の土踏んだぞ!
近づくとこんな感じ。ケヤキ造りの古民家だそうだ。
こんにちはーと入っていくと、隣の座敷の部屋へ通された。客は自分だけのようだ。一番奥の卓を陣取る。壁にはたくさんの額が並べられ、中には子鹿の写真もあった。
鹿小屋の名前の由来が、かつてここに14頭の鹿がいたから、というもの。その鹿だったのかどうか、頭上に目をやると鹿の首の剥製が飾ってあった。角が立派。
今度こそお米を堪能するためコシヒカリ定食を注文した。コシヒカリで定食というあたりに自信の程がうかがえる。期待しよう。
つらつらとメニューを眺めるうち、カジカの唐揚げが気になってきた。無茶すんなよと自分に言い聞かせたものの、どうしても気になって、けっきょく追加注文してしまった。先にカジカがやって来た。
…ちょっと量が多くないかこれ。大丈夫か、食べきれるかなと心配になったが、意外と塩でぱりぱり食べ進んでいける。お酒が欲しくなってしまうのがやばい。
うん、うまい。ふだん食べているデフレ型ビジネスのファストフードの米とは、当たり前だが段違いだぜ。しかも魚との相性がばっちりなのには感心した。めちゃめちゃ合うじゃないか。先ほどのカジカの件はどこへやら、当然のごとくご飯をおかわりした。
濃い目の味の漬物でもご飯がすすむ。いやはやおそるべしコシヒカリ定食。消化不良感なくすべて平らげた。
食事中、ひと組の都会の客が車で乗り付けてきて、屋外のテーブルで軽く飲み食いしていったのが見えた。打ち解けた振る舞いから常連だったと思われる。まあここは固定ファンがいてもおかしくないね。
鹿小屋の米食べたぞ!
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それほどまでに重要視されている関興寺と雲洞庵を、2017年最大の一人旅企画「晩秋のぬる湯三昧」の中で訪れた。
さらに、雲洞庵の近くにある食事処「鹿小屋」で自慢の地元産コシヒカリをいただいた。やっぱりこのあたりの米はうまいね。個人的には上のフレーズにもう一つ、「鹿小屋の米食べたか」を付け加えたい。
関興寺の味噌をなめる
石打駅から徒歩10分
本記事で紹介するスポット、実は1年前の2016年にも訪れていた。このブログを立ち上げるきっかけとなった素晴らしい旅だった。今回は当時の思い出をなぞるという趣向である。過去にとらわれる後ろ向きなおじさん。さて最初に訪れたのは関興寺。前泊地の奥湯沢・貝掛温泉からバスで越後湯沢駅へ出て、JR上越線に乗り隣の石打駅まで行った。
駅前に「上越線生みの父 岡村貢翁銅像」があった。明治期に上越線の建設を訴え続けた当地の名士。石打駅の待合室には翁の伝記マンガが掲示されている。熱い内容でつい読みふけってしまった。
石打駅から関興寺までは徒歩で10分ちょっとなのだが、当日は雪。道に雪はなく凍結もしてないから歩くに支障はないけど、空も地面も真っ白。本来なら遠くに山が見えるはずなのになんも見えねぇー。細かいあられっぽい雪で傘いらずだったのが救いか。
雪の中の関興寺
はい、着きました、関興寺。前回初秋に来たときは涼しげに見えた池も凍っちゃって寒々しい。
拝観料などは不要。真正面の石段は雪が積もって進めなさそうなので、脇の坂道を通って本堂の入口前まで行ったが、とりあえず先に境内を回ってみようと思った。
地面はまだ誰の足跡もない新雪に覆われて歩きにくい。足首までズボズボ雪に埋まりながら一歩一歩、どうにか観音堂までたどり着いた。紅葉と雪のコントラストがきれい。
振り返ると経蔵と鐘つき堂。経蔵にはたくさんのお経を収めた回転式の書架がある。ぐるぐる回すとご利益がある系のやつ(実際はできない、見るだけ)。外国に似たようなマニ車ってのがあったような。
宝物殿のような本堂
本堂は重厚で威厳ある感じ。本当は手前のところが石庭になっているが雪に埋もれて何だかわからない。本堂に入ると誰の姿も見えない。奥から声だけは聞こえる。しばらくするとお坊さんが一人やって来て、「ごゆっくりどうぞ」と言って、また奥へ戻っていた。人と出会ったのはこのときだけ。
まず仏様に手を合わせる。その先は順路に沿って古い宝物や史料や仏像の類が陳列される中を進んでいった。見学エリアはそんなに広くない。展示品の一つ一つをじっくり見るのでなければあまり時間はかからない。
味噌壺とのご対面
最後にいよいよ(自分にとっての)本題だ。中央の部屋の障子をそっと開ける。中はお札やお守りの販売と給茶コーナーだが、さりげなく小さな壺を置いたテーブルもある。壺のフタを取ると中には味噌が。「関興寺の味噌なめたか」の味噌である。これを軽くすくってなめさせてもらえるのだ。
戦国時代、上杉謙信の没後に起こった家督争いに巻き込まれた関興寺は、北条軍に火をかけられることとなる。その際、大事な経文を味噌桶に入れて隠すことで焼失をまぬがれた、というエピソードから、ご利益のある味噌として名物になっている。
なめてみた味はまあ、味噌ですね。小さい壺に入った味噌をお土産に買うこともできる(500円)。このときは冬季の平日だったせいか客の出入りがまったくなかったけど、暖かい時期の休日ならもっと活気があるものと思われる。
関興寺の味噌なめたぞ!
雲洞庵の土を踏む
六日町駅から歩くのはしんどいので
続いては雲洞庵。旅の最終日、前泊地の栃尾又温泉・宝巌堂を発ってバスで小出駅へ、そこからJR上越線で4つ目の六日町駅まで来た。前年は駅から雲洞庵まで、残暑の中を旅の全荷物を背負って5キロの道のりを歩いたが、今回はコインロッカーに荷物を預けて身軽になった。(※距離だけなら隣の塩沢駅から行くほうが近いんだけど塩沢にはコインロッカーがない。)
なおかつ、タクシーを使った。軟弱者との誹りは甘んじて受けよう。だって雨がぱらついていたんだもの。いいじゃないか、にんげんだもの、みつを。
ご利益ある参道
正門は閉鎖されており、脇の出入口から拝観料300円を払って中へ入ると、最初に現れるのが立派な赤門。「雲洞庵の土踏んだか」と書いた札が掲げられている。伝えられるところによれば、赤門に続く参道の石畳の下に法華経を1字ずつ刻んだ石が埋められており、石畳を踏みしめて歩くとご利益があるのだそう。土踏んだかの言い回しはここから来ている。ありがたや~と参道を行く。
奥に大きな本堂がどっしりと構えていた。苔むした石仏との組み合わせが絵になる。
景勝と兼続の学び舎
本堂内は三脚を使わなければ写真撮影OK。入ってすぐのところに長生きの水場がある。おお霊水が湧いてるのか。しかし説明を読むと、現在は諸般の事情で水道水を流している由。続いて方丈の間。幼少時の上杉景勝と直江兼続が共にこの部屋で学んだという。雲洞庵は大河ドラマ・天地人で幼き兼続(与六)に「わしはこんなところ来とうはなかった」と言わしめた禅寺なのである。
本堂は広い。関興寺よりずっと広い。見どころもいっぱいあるが、ここからはやや駆け足で紹介。こちらはご本尊。
位牌の並ぶ通路の奥に開山堂。このあたりは厳かな雰囲気が漂う。上杉謙信公のほか徳川家康公の位牌も安置されている。
これはきつそう、修行の場・坐禅堂
窓の外には美しい庭園が見えた。関興寺を訪問した2日前にはここも一面雪だったんだろう。今はすっかり消えていてちょうどよかった。別の通路の先に坐禅堂。修行僧は上の棚に入る荷物だけを持って、与えられた1畳の空間の上で寝食を行い、ひたすら坐禅を組む。修行中は話をしてはならない。ううむ、自分だったら1日で逃げ出すな…。
また別の通路の奥に客殿。広い客間が2フロア分ある。2階の窓から望む本堂がいい感じ。腰掛けるところがあり、お茶で一服はできないけど、外の景色を見ながら休憩できる。
宝物殿と十王像
これにて見学終了…おっと、本堂受付の横の通路から宝物殿へ行けるようだ。宝物殿内部はさまざまな時代の古文書や骨董品が展示されている。しかし最も印象に残ったのは宝物殿入口の十王像だ。死後、10人の王に生前の罪を裁かれる。みんなが知ってる閻魔王は十王の5番目。それにしても、説明を読むと、すんごい問い詰められるみたいなんですけど…メンタルやられそう。あと減刑してもらうには遺族が供養を行い功徳を積まないといけないっぽい。後の世代に負担を先送りするシステム。
宝物殿を出て、今度こそ終了。雲洞庵は見るところがいっぱいあるし静かで落ち着いた雰囲気でなかなか良かった。
雲洞庵の土踏んだぞ!
鹿小屋の米を食べる
古民家を利用した食事処
雲洞庵から徒歩5分くらいのところに鹿小屋という食事処がある。田んぼの中にポツーンと立っている。近づくとこんな感じ。ケヤキ造りの古民家だそうだ。
こんにちはーと入っていくと、隣の座敷の部屋へ通された。客は自分だけのようだ。一番奥の卓を陣取る。壁にはたくさんの額が並べられ、中には子鹿の写真もあった。
鹿小屋の名前の由来が、かつてここに14頭の鹿がいたから、というもの。その鹿だったのかどうか、頭上に目をやると鹿の首の剥製が飾ってあった。角が立派。
お酒が欲しくなるカジカの唐揚げ
さてメニューを決めよう。前回来たときは盛り沢山のおかずに蕎麦とご飯がつく鹿小屋定食を頼んだ。でも量が多くてすぐにお腹が膨れてしまい、自慢のコシヒカリをおかわりできなかったことが悔やまれた。今度こそお米を堪能するためコシヒカリ定食を注文した。コシヒカリで定食というあたりに自信の程がうかがえる。期待しよう。
つらつらとメニューを眺めるうち、カジカの唐揚げが気になってきた。無茶すんなよと自分に言い聞かせたものの、どうしても気になって、けっきょく追加注文してしまった。先にカジカがやって来た。
…ちょっと量が多くないかこれ。大丈夫か、食べきれるかなと心配になったが、意外と塩でぱりぱり食べ進んでいける。お酒が欲しくなってしまうのがやばい。
地元産のコシヒカリはさすがにうまい
しばらくするとコシヒカリ定食もやって来た。お米は地元雲洞産のコシヒカリ。おいしくないわけがない。そこにサバの生姜煮や漬物が何皿かついている。ではいただこうか。うん、うまい。ふだん食べているデフレ型ビジネスのファストフードの米とは、当たり前だが段違いだぜ。しかも魚との相性がばっちりなのには感心した。めちゃめちゃ合うじゃないか。先ほどのカジカの件はどこへやら、当然のごとくご飯をおかわりした。
濃い目の味の漬物でもご飯がすすむ。いやはやおそるべしコシヒカリ定食。消化不良感なくすべて平らげた。
気になる手作りあんぼはまた今度
なおもメニューには「おばあちゃんの手作りあんぼ」なる、これまた気になる品が。おやきのようなものらしい。持ち帰りもできるというから結構悩んでしまったが、けっきょくは自重した。越後湯沢駅の屋台で見かけて気になってた栃大福と笹団子の入手を優先したため。すまんね。食事中、ひと組の都会の客が車で乗り付けてきて、屋外のテーブルで軽く飲み食いしていったのが見えた。打ち解けた振る舞いから常連だったと思われる。まあここは固定ファンがいてもおかしくないね。
鹿小屋の米食べたぞ!
【この旅行に関する他の記事】